公平さ徒然

居酒屋さんで

口コミサイトなどを見て初めて入ったお店でした。
先に入店していたお客さん(常連さん風)のテーブルの料理がボリュームもありすごく美味そうです。
「あれ頼みたい!」
早速メニューを見てこれだな!とわかったので迷わず注文しました。
ところが、出された料理の盛り(数?)が、気のせい?いや違う、明らかに少ない。
「ひょっとして常連の人と一見さん(私)で量を変えている?」
そんなもやもやした気持ちで食べた料理。おいしいんだけど、気分はどんより。
「いやいや、こういうことしたらアカンよなぁ。」
「もうこの店はないな~」
こんな些細なことでも人の気持ちは少なからず影響受けるものなんですね。

久しぶりに会った友人と話す

友人は長いブランクの後に最近介護職に復帰した人です。
不安をかかえつつでしたが、新しく入職した高齢者施設の職員さんたちはみんなやさしくて、ケアも丁寧でちゃんと仕事も教えてくれて、ほんとにほっとしているとのこと。
「でもね・・・」
認知症の周辺症状(BPSD)の顕著な方に対しての見方が気になるというのです。「やっぱり迷惑な人みたいな感じの受け止め方なのよね。すごい文句ばっかり叫んでる人とか、噛みついてくる人とかいるんだけどね・・。見てたら、怒ったり、噛んだりするのにはそれなりに理由があるという感じがするんよね。」
「家族さんが面会に来られた時に私が車いすを押してお連れしたんだけど、一緒にいた先輩介護士が、ちょっと離れてはいたけど家族さんがいてはるところで『気をつけな噛まれるで』って私に言ってきて。もう、すごくびっくりして・・・。絶対家族さん聞こえてるし、そんなん聞こえた家族さんどんな気持ちかと思って。」
私はそれを聞いてもちろん家族の前でというのもありますけど、それ以前に「いや、それ本人の前やん」と思いました。本人不在。
一人の人格のある人間として接する姿勢があれば、本人の頭の上でそんなことが言えるかどうかです。
と、思ったところで・・・
でもそういうこと、自分はやってないのか??
この介護士さんを非難できるくらいに自分はちゃんとしているのだろうか。
ぐらんどの利用者さんは言葉の出ない方がたくさんいらっしゃる。
自問自答です。

 

利用者さんの好き嫌い

ケア内容が複雑とか。時間がかかるとか。
自分の技術が未熟でうまくできないとか。
利用者さん自身の好みがあって自分はどうも好かれていないとか。
苦手に感じてしまう利用者さんがいます。
同じ時間帯に複数の利用者さんのケアをしないといけない場面で優先順位をどうつけて動くのか。ケアスタッフは複数いるが担当が決まっているわけではないという時、苦手なことは「自分がしなくても他の誰かがしてくれたら・・・」そんな気持ちがよぎります。
もちろん仕事を選ぶのはよくないことはわかっています。なのでそうとさとられないような身のこなしで、別のことを始めてみたり。
いやいや、そんな仕事を選ぶなんて!そんなことしたことないです、というワーカーさんいる?いるかもしれませんね。
でもすみません、私はしたことがあります。

逆に好きな利用者さんもいます。
時間に余裕のあるとき、手持無沙汰な時間帯、そういう時間こそ普段はできない関わりを持つことができる時間です。
そういうとき、ついつい好きな利用者さんのところに行ってしまう。
優先順位を考えたら他の利用者さんのほうがよかったかもしれないのに。
日々の業務はそういう態度であっても終わっていきます。
相手を、ケアの内容を、意識的に選んでいること、わからないようにしているつもりでも気づかれていて「あの人すぐに〇〇さんのところに行くよね」
「あの人〇〇さんのところに行ってるの見たことないわ」
ひそひそ話になっていることもありそうです。
言われる人も、言う人もどうなんでしょうか。
私もそういう話に加わったことがあります。
自分の中にそういう傾向があるからこそ、気づくのではないかという気がします。

 

職員同士の関係性

職場に人間関係の課題はつきもの。
誰に対しても態度が変わらない。理想的ですけど、実際そんな人いるのでしょうか。
人と人の間には相性というもの、気の合う合わないがあります。
人間の集団の中で気の合わない人という存在が一点集中するとそれはいじめになったりする。
そんなことにまでならないとしても、ちょっとした言葉尻に苛立ちをちらつかせたり、ほとんどしゃべらないなどの塩対応をしてしまう。
する方はあまり考えていないかもしれませんが、される方は結構こたえるものです。
逆に気の合う人とはおしゃべりが行き過ぎる。手は動かしているけれど口は仕事から離れてしまっている。
そんなすべての様子を利用者さんは見ています。
どこかのお店に入ったとき等、店員さんの言動聞いてないふりで聞いていたりしますよね。

 

仕事の不公平感

同じ時間同じようにお給料をもらっているのに、自分ばっかり負荷のかかる仕事をしている。
そういう思いに駆られたことのない人はいないのではないかと思います。
上司から故意に過剰な仕事の指示をされる。
他の人がしないから、仕方なく自分がやる羽目になる。
人を待ってるより自分が動くほうが早いからついついやってしまう。
状況はいろいろでしょうけれど、そういうことが度重なってくると
「わたしばっかり・・・」が募って疲弊してしまいます。
仕事の不公平感はなくすにはどうすればいいのでしょうか。

 

公平な職場、ケアの現場

公平な態度は大切です。
ルールや基準がはっきりしていると不公平感は感じにくい環境になるかもしれません。
する、しない、またどのように、どれくらいということもはっきりしていたら、不公平は少なくなります。とは言えルールをつくるのも限度があります。
ルールが多くなれば把握しきれず守れなかったりするかもしれません。
あまり公平さにこだわると息苦しいこともあるかもしれません。
能力も性質も違うスタッフ間の小さな衣擦れは小さいうちに解消したい。
スタッフみんながお互い「ああ、助かるわ」と思い合えるようになるには。
利用者さんへの対応を公平な優先順位で行えるようになるには。
なかなか答えが出ない悩みです。

 

まず自分が気持ちよく生きるための

答えが出ない悩みに外向きの具体策はなかなか思い浮かびません。
不公平に感じること、また不愉快に感じることなどがあったとき、即座にはできないことも多いのですが、心がけていることがあります。
少し落ち着いて自分がなぜそういう感情に捉われているのか見つめてみるということです。
人から受ける刺激で不快に感じることの多くは、よくよく振り返ってみると自分の中にも存在していることだと気づきます。自分の中にそういう傾向がないとしたら、不快になるというより「??」ではないでしょうか。
同じ人間であるという前提があるにしても、完全に公平な世界を求めることは無理がありそうです。まず人と自分は同じではないのですから。
お互いの不足を補い合うという気持ちが大切ですし、そういう気持ちを持って行動する人だからこそ、逆にその気持ちに答えたくなって助けようと思えるのではないでしょうか。
お互い様。よく聞く言葉ですが、実践できていますか。
自分にできることを出し惜しみせず差し出すことで何か損することなどあるんでしょうか。
仕事を選んでしまう人、自分は気づいていますから後ろめたいはずです。そのことを知られたくないからつくろおうとします。それは自分にとって気持ちのいいことではないはずです。
自分がしんどいと思うことを他の人に委ねて、「ラッキー」。そういう思考回路、そういうことが習慣になっているような人は、自分も人も幸せにできないと思います。

 

居酒屋さんで

最初に書いた不愉快な経験。
常連さんとお店の人の間にはいろんなことがあるんでしょうね。
他のお客さんにわからないようにしたかったのでしょうね。
私は少々盛りが少なかったからと不愉快!と思いましたが。
「まぁまぁ、いろいろあるんでしょうね。別にこの量でも高くはないし」と思えたら。小さいことに拘ることがなかったら。
おいしく食べて、楽しい時間を過ごすことができていたのかもしれません。

3月になりました。梅がきれいです。
早く暖かくなってほしいですね

 

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