まだまだいっぱしの専門職になれない

暑くて長い夏ももう終わりに近づいているのでしょうか。
ぐらんどに通ってくださる利用者さんのお家の近くでトンボの大群が見れたとのお話。
暑いけれどやはり季節は進んでいるようです。暑さに耐えるのももうあと少し。

夏休みもあって暑くて忙しい傾向は毎年ですが、今年はまたいつもにもまして大変だったと思います。知人の中には同じく介護に携わっている人もいて、「調子はどう?」などと聞いたりすることがありますが、どうしても今流行りの感染症の影響に話題が割かれます。「陽性だ」「濃厚接触だ」という状態がめずらしいことではなくなっていて、そのためにスタッフが揃わないというのも日常茶飯事です。きつい体制で業務に当たらざるを得ず、出勤している職員の疲弊もはげしいという状態。なんとかならないのでしょうか。ぐらんどももちろん例外ではありません。感染対策にピリピリするストレスも加わってさらに厳しい夏になっています。

そんなこんなで毎日一日が終わることでやっとこさ、思考停止的な雰囲気の日々の中、頬っぺたをパアーンとはたかれるような出来事がありました。

事故がありました。
現場ではインシデント、アクシデントはつきもの。起こさないようにするために毎回要因分析、対策を行います。
今回は、利用者の持ち物を取り違えて別の利用者に使用してしまったという事故でした。
自分のものを人に使われた、人のものを自分に使われた、大変いやなことです。
起きたときにすぐに双方の利用者のご家族に電話で経緯について報告、謝罪をしました。
今回の場合では、どちらの利用者の方にも健康面での影響は非常に少ないだろうと予測できました。そういう点では、どちらのご家族も寛大なご対応をいただけて救われました。
お送りのときにもスタッフから再度謝罪をしていました。
その日のうちにミーティングで事故報告を行い、要因分析、対策について話し合いました。
私は経営者として健康面での被害がなかったかもしれないが、重く受け止めてほしいことを伝えています。事故を起こした職員が私に報告してきたときも「大変深刻な事故だと思います」と言いました。

さて、その事故のあった日から3日が経過し、同じ利用者の通所日の朝、いつものようにお迎えに伺いました。いつものようにお変わりはないか、連絡事項を確認して、「今日もよろしくお願いします」と利用者を乗車介助したところでした。ご家族から「先日の事故の件なんですけど・・・」と声をかけられました。瞬時にわたしは事故のことが頭に残っていなかったことに気づき、一瞬血液が全身逆流するような顔から火が出るような感覚になりました。
ご家族は、「間違えた持ち物には名前をわかるように書いたということ、また他の方にもそういうことをしてもらえたらいいのではないかと思うということ、またぐらんどで何か対策が考えられたのであれば、その内容を教えてほしいこと」などをお伝えくださったのです。
私は何よりも自分自身がその時に事故のことが頭から抜けてしまっていたことが本当に恥ずかしいと思いました。このお迎えの時、わたしの方から開口一番、「前回ご利用時は大変申し訳ありませんでした」というようなご挨拶をするのが当たり前でした。
それができなかったことが恥ずかしいというよりも、自身の中であれほど職員に対して偉そうに「重く受け止めろ」と話していた自分自身の捉え方が重くなかったこと、頭からすっぽり抜けてしまう程度だったということが、もう身の置きどころがなくなるような恥ずかしさでした。

その後、事業所に戻り、対応について話し合った内容のわかる書面を持ってご家族の元にお持ちし、改めて謝罪をしました。そして自分の至らなさについてもお詫びしました。ご家族は「今回のことは報告なければ気づかない内容の事故で、それをちゃんと報告してくれるという点で信頼している」とおっしゃってくださいました。が、これもごまかしたり隠蔽することがよりリスクがあることを自覚しているからしていることです。
ほんとうに大切なことはどう受け止めているのかということです。

話は変わりますが、8月は終戦記念日などもあり、戦争の特集番組がよく放映されます。
NHKスペシャルの「ビルマ 絶望の戦場」という番組がありました。戦況はもう明白でイギリス軍26万 日本軍3万という体制なのに戦闘を指示し戦わせてほとんどの兵士が戦死しました。その時に司令部は戦闘員を残し、撤退をしていたというおぞましさです。その司令部の指導者たちをイギリス軍の指導者が「道徳的勇気の欠如」と評しています。つまり

間違いを認めない
計画を見直さない
現場押しつける
責任をなすりつける
一度決めたことやめない

などです。
日本の今の政府の現状も近いものがあるのではという人もたくさんいます。
私もそう思いますが、まず、自分自身にこういうところがあると思っています。
そういう意味で数々失敗をして来ました。人を傷つけて来たと思います。

「道徳的勇気」という言葉に馴染みはありませんが、とにかく自分がかかわったことでだれかに迷惑をかけたりかけそうになったとき、その誤りを認め責任を取る態度が必要だと思います。
リスクマネジメントなどという考え方は大切だと思いますが、それよりなによりやはり人と人の交わり方が密な私たちの仕事では、相手がどういう受け止め方をしているかはすぐに伝わるのです。
誠意というものがちゃんとそこにあるのかどうか。
少なくとも私はそんなふうに思います。

専門職なのだからこうあるべき ということ。
介護の専門性ってまた難しいものです。人を支える仕事なのですが、「ケアには正解がない」とか
「その人らしさを大切にする」とか、いろいろ言うのですが、そんな難しいことなかなか簡単にできることではないと思っています。
現場を見ていると大切そうに聞こえる言葉が曖昧すぎて、逆に固定観念的な方向ができやすくないだろうか。そんな気すらします。
なかなか、専門性ということに馴染めずいつも落ちこぼれてアウトサイダー、逃げの姿勢も否めません。今回のようなことがあるとまた出来損ない感が強まってしまいます。
今回の事故対応で考えさせられました。「専門職としての対応」は私には難しかったです。
ただ、「誤りを認め責任を取る態度」「誠意を見せるのではなく、誠意が自分の中にあること」しっかりその所在を自分の中に確認しながら進みたいと思います。
頼りない所長と一緒にぐらんどのスタッフは日々がんばってくれています。
できることをできるだけ。お手伝いしていきます。

思い出すとヒリヒリするひと夏の経験のお話でした。

 

 

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